メッセージ

礼拝説教 ダビデとゴリヤテ「この戦いは主の戦いです」part2


この全集団も、主が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう。この戦いは主の戦いだ。主はおまえたちをわれわれの手に渡される。
第一サムエル記17章47節

10月12日、名古屋愛知長老教会では「この戦いは主の戦いです」と題して、第一サムエル記17章からダビデとゴリヤテの物語が語られました。


1.自分の武器を持つ

若きダビデが王サウルのよろいを脱ぎ、自分の投石器を手にしたように、私たちも「自分に与えられた戦い方」を持つよう勧められました。神は一人ひとりを独自の賜物と方法で召され、他人のように戦うことを求めてはおられません。信仰者は、神がすでに与えてくださった自分自身の「武器」で立ち向かうことが大切です。

2.戦いの現場に立つ

ダビデが5つの石を袋に入れ、実際に戦場へ出ていったように、信仰も行動を伴わなければなりません。ピリピ人への手紙2章13–14節にあるように、神は私たちのうちに志を立て、実際に「事を行わせてくださる」お方です。神が与えた志を計画で終わらせず、「戦いの現場」に立つことが信仰の実践です。

3.「主の戦い」として生きる

メッセージでは、信仰者一人ひとりが神に召された者であることが強調されました。
神は私たちをそれぞれの生活の現場へと遣わし、その場所を「主の戦いの現場」としてくださるのです。家庭、職場、学びの場、教会での奉仕――どんな場面においても、主が共におられ、その地でご自身の御業を進められます。

ダビデがまだ羊飼いであった頃、獅子や熊といった野獣から羊を守る中で、主が常に彼と共におられたことが思い起こされました。その経験こそ、後に彼が巨人ゴリアテと対峙する信仰の力となったのです。

同じように、私たちの日常にも大小の「戦い」があります。困難や試練のただ中でも、そこが主の御手の中にある「主の戦いの現場」であることを忘れず、信仰と勇気をもって一歩を踏み出していくよう励まされました。
主が共におられるゆえに、どんな現場にも恐れずに立ち向かうことができる――その確信こそ、信仰者の歩みを支える力であると語られました。

4.勝利を確実にする

ダビデは倒れたゴリヤテに近づき、とどめを刺しました。説教では、信仰の戦いにも「決着をつける姿勢」が必要だと語られました。途中で投げ出さず、神が「もうよい」と言われるまで歩み続けることが、真の勝利につながるのです。

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