ついで、ダビデは言った。「獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった主は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。」
第一サムエル記17章37節a
ハレルヤ!皆様、いかがお過ごしでしょうか?
10月5日の名古屋愛知長老教会の主日礼拝のメッセージの紹介です。第一サムエル記17章に記された、少年ダビデが巨人ゴリヤテと対峙した有名な場面からメッセージが語られました。
説教の要旨:
ダビデの信仰の姿には、現代のクリスチャンにも通じる「信仰の型」が示されています。羊飼いであった若いダビデの姿勢から、神を信じる者が持つべき信仰の姿について学んでみましょう。
1. 熱意を伴った信仰
イスラエルの兵士たちが恐れてゴリヤテの前から逃げたとき、ダビデの心には「ゆるせない」という熱い思いが湧き上がりました。彼は神の名が侮られることに対して立ち上がり、「この割礼を受けていないペリシテ人は何者か」と叫びました。信仰には熱意が伴います。今の時代は熱意が冷めた時代ですが、信じる人は神に対してまで冷めてはいけません。愛の神が働かれるところには「いのち」に伴う熱があります。その愛に触れられた人の心には自ずと「熱意」が生まれます。信じる人々の心に、信仰に寄る熱意が注がれ、神によってその心が奮い立たせられますように。
2. 責任をもって行動する信仰
さてダビデは信仰の熱意を奮い立たせられましたが、同時に「私が戦います」と言って実際に前に進みました。周りの兵士が恐れ、誰も動こうとしない中で、彼は「このしもべが戦います」と名乗り出たのです。信仰による熱意は責任を伴う行動に表れます。他人任せにせず、「誰も行かないなら私が行きます」と言える人が、状況を変えることができます。信仰に伴う熱意と責任、この二つがあなたの状況に変化をもたらす鍵なのです。
3. 経験に裏づけられた信仰の自信
信仰によって熱意を燃やされ、戦いに対する一切の責任を担おうとうとしたダビデ。ところがサウル王は「あなたは若いから戦えない」と言いました。しかしダビデはサウル王にくいさがります。そして彼は羊飼いとして獅子や熊と戦った経験を語り、「主が私を常に救い出してくださった」という、彼の日常を告白しました。神から救われたという経験の積み重ねによって、ダビデはゴリヤテに勝利できるという信仰の確信へと導かれたのです。ここからわかることは何でしょうか?信仰とは決して空元気なものではありません。神に救われたという日々の実績の積み重ねによって、ダビデはゴリヤテに勝利できる確信を得ました。そうです、私たちも神と共に歩んだ日々の経験こそが、信仰の真の自信となるのです。
大きな奇跡ではなくてもよい、むしろ日常の些細な出来事の中でも、神が助けてくださった小さな体験の積み重ね。それが私たちを強くし、信仰を実質あるものにしていくのです。神が選ばれたのは、他の誰でもない“あなた”自身です。そのあなたの人生の中で、主が与えてくださる勝利の経験を大切にしてください。
「この戦いは主の戦いです」。それは、私たちの人生の戦いにおいても変わらぬ真理です。それは日々の信仰生活においても、また人生の大舞台においても同じなのです。主が共におられるゆえに、恐れず、熱意と責任をもって一歩を踏み出す者に、神は勝利を与えられます。
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