―「私は死ななければならないのでしたら、死にます」―
本日は、エステル記4章16節の「私は死ななければならないのでしたら、死にます」という言葉を主題に、説教を分かち合いました。
エステル記を読むと、神が信じる者の人生に介入され、ご自身の善なる目的と計画を実現されることがわかります。
人生は思いがけない出来事の連続です。エステル自身も、自分がペルシャ王の王妃になった理由をすぐに理解できたわけではありません。しかし、ユダヤ人である自分の民族が滅亡の危機に直面したとき、彼女と養父モルデカイは、その出来事に神の御心があることに気づきました。
神はご自分の民を救うために、あらかじめエステルを王宮に送り、王妃とされていたのです。
この記述から私たちは、「人には使命があるのではないか」と考えさせられます。使命を見出すには、神のご計画を信じ、神の真実な心に信頼することが必要です。それができるなら、私たちもエステルのようにこう告白できるかもしれません。
「私は、死ななければならないのでしたら、死にます。(エステル記4章16節:新改訳聖書第三版)」
この言葉の背後には、神への揺るがぬ信頼があります。神が真実な方であると知るとき、私たちは勇気をもって前に進むことができるのです。
エステルは王に直訴する立場にありましたが、それは王妃であっても命を危険にさらす行為でした。それでも彼女は、神を信頼し、勇気を出して一歩を踏み出しました。神の真実に信頼する者は、人生の使命に向かって進み始めるのです。
では、私たちクリスチャンは、神の真実さをどこに見出すことができるでしょうか?
それは、イエス・キリストの十字架の死と復活です。
ヨハネの福音書10章28節でイエスは、ご自分の羊(=信じる者たち)に永遠の命を与えると約束されました。そしてその約束を実現するために、ご自身の命をささげられました。10章11節では、良い牧者として「羊のために命を捨てる」と語られています。この言葉に、神の真実さがにじみ出ています。
神の真実さは、御子イエスの生涯と犠牲に現れています。この神の真実ゆえに、私たちは将来の復活に至る希望を持ち続けることができるのです。復活の希望の根拠は、まさにこの神の変わらぬ真実にあります。神の真実が、私たちの信仰を岩のように堅くするのです。
この記事を読まれる皆様が、神の真実と栄光を見出されますように。
主イエス・キリストの御名によって祝福をお祈りいたします
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