四旬節第五主日メッセージ
範囲:ヨハネによる福音書13章
(説教の抜粋)
ヨハネの福音書13章1節
さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。
イエス様は、死が目前に迫る最後の瞬間でさえ、その愛を残るところなく示されたと言います。愛するもののために、苦しみさえもその身に受けようとすること、これがイエス様が見せてくださった愛でした。愛は難しくとも、辛い道のりを歩もうと決断することです。イエス様は苦しみの道を絶対に避けようとはされませんでした。そして最後の瞬間にまで、弟子たちを愛し抜かれたのです。
弟子たちは最後の晩餐の時でさえ「誰が一番偉いか?(参:ルカ22:24)」と激しく論じ合ったのです。愛で苦しみを背負われ、ご自分の命を無にされようとされるイエス様とは全く逆の考え方に、弟子たちの心は奪われていたのです。地位と名誉、誰よりも高くなろうとする弟子たちの姿は、「高くなりたいものは先に低くなりなさい。仕える者が主人である(マタイ20:25-27)」とおっしゃったイエス様のご生涯とはかけ離れたところにいたのです。弟子たちは主がこれから行こうとされる十字架の道さえも、知る由もなかったのです。
しかしイエス様は最後までこの弟子たちを愛し教えられました。そしてご自分はしもべの姿をとって、弟子たちの足をひとりひとりお洗いになられました。たとえ主がなさることの意味がわからずとも、後になって分かるようになるとおっしゃりながら、弟子たちを愛し抜かれたのです。
私たちの希望は、私たちを最後まで愛し抜かれる主イエス・キリストにあります。この方をのぞいて他に、私たちに希望はないのです。主の愛の中にとどまり、主と同行できる幸いな者となりましょう。
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