メッセージ

婚礼に招かれたイエス様


婚礼に招かれたイエス様_ヨハネの福音書2章1-11節

聖書中に、イエスキリストと信仰者との関係を「結婚の関係」に例えた箇所が多々あります。例えば黙示録19章7-8節では、イエスキリストの花嫁として信じる者たちが美しく整えられ、結ばれる場面が荘厳にえがかれてあります。このヨハネの福音書2章ではまさしく「婚礼の場」にイエス様が呼ばれています。神を信じる人々が、聖なる花嫁としてキリストと結ばれる婚礼は、神がこの地上に願われる結論でもあります。

しかし2章におけるカナの婚礼ではキリストは客人として招かれただけでした。この状況の中で『私の時はまだ来ていない』とイエス様は語らざるを得なかったのです。長い年月をかけて神が準備されたイスラエルの民が、花婿となるべきイエスキリストを嫌い、憎んだ状況について4つの福音書からも見ることができます。

神を信じる人々は、キリストを正しくお迎えしなければなりません。そうするならばその信仰生活は神の愛と喜びに満ちた信仰生活を生きることになるでしょう。それは葡萄酒の尽きることのない婚礼宴会のようです。しかしヨハネの福音書2章のカナの婚礼の場面では、宴会のための葡萄酒が尽きてしまったのです。これはイエス様のいない人生を生きる人間の姿に類似しています。

結論的にイエス様はこの地上に来られたにも関わらず、イエス様をキリストとして受け入れる人はわずかでした。この婚礼の場面は、そんなイエス様の背負われた苦しい事情を浮き彫りにしています。主を受け入れることができない人間の姿は、やがて尽きてなくなる葡萄酒のような世界です。しかしそんな世界の中に生きている私たち人間のために、主は来てくださりました。そのような私たちを憐れむ救い主イエスキリストは、私たちの人生に手を差し伸ばし、ご自分の満ち満ちた愛と恵みとを与えてくださる方です。そのようして、私たちをご自分の愛の中に留めてくださるのです。

参照)ヨハネの福音書2章1-11節 【新改訳聖書2017年度版より】
1 それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、そこにイエスの母がいた。
2 イエスも、また弟子たちも、その婚礼に招かれた。
3 ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません。」と言った。
4 すると、イエスは母に言われた。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」
5 母は手伝いの人たちに言った。「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」
6 さて、そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、それぞれ八十リットルから百二十リットル入りの石の水がめが六つ置いてあった。
7 イエスは彼らに言われた。「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。
8 イエスは彼らに言われた。「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。
9 宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、――しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた。――彼は、花婿を呼んで、
10 言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」
11 イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行ない、ご自分の栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。







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