メッセージ

あわれみ深い者は幸いです。


あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。(新改訳聖書:マタイの福音書5:7)


(説教抜粋)

あわれみ深い者が受ける「あわれみ」は天の神から降るあわれみです。イエス様はこのようにも教えられました。

マタイの福音書9章13節
『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」

神の前に捧げるいけにえは、神との関係を回復し、正しく維持させるためにありました。しかし罪の身代わりとなって犠牲となる動物たちの命は、神にとっては痛みでしかありません。それでも神は人を愛されるがゆえに、犠牲の命を用いて神の祝福に入る道をイスラエルの民に与えたのです。神を喜ばせるまことに正しい者のいけにえとは「あわれみ」です。動物の犠牲を喜ばれる神様ではありません。人が他者を愛し、憐れみ、赦していくことこそが、神を喜ばせる真のいけにえなのです。私たちが神の愛に生き、神の愛を現わすことこそ、神の喜ばれる人生であり、いけにえなのです。

ところで『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』は、旧約のホセア書6章6節にある神様の言葉です。

ホセア書6章6節
わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。

ここでの誠実とはつまり「愛」です。全身全霊をもって愛を尽くすことが、神への誠実となるのです。神は愛の神様です。神から愛されたように、隣人を愛することこそ、神への誠実です。全焼のいけにえとは、最高のいけにえですが、しかしそれにも勝って神を喜ばせることは、神を知ることであるとおっしゃいました。神を知るとは、つまり神の愛を知り悟ることです。神の愛で満たされて、隣人をあわれみ、愛し、赦していくこと、それこそが神を愛することであり、神に誠実を尽くすことなのです。このように神の愛にとどまって隣人を愛し続けていく人生こそ、神が喜ばれる霊的ないけにえであり、神との正しい関係なのです。

それならば、あわれみ深い者とはいったいどんな人のことでしょう。それは神の愛で満たされて、隣人を神の愛で愛する人のことです。神の愛にとどまってこそ初めて可能となる生き方です。そのものは幸いです。なぜならさらに深いあわれみを天から頂くことになるからです。

イエスキリストの十字架の死は、私たち罪人を神の愛にとどまらせる救いの道でした。イエスキリストの十字架に愛があるのです。イエスキリストを見上げ、あわれみ深い者に変えられて参りましょう。

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