メッセージ

金持ちとラザロのお話


さて、この貧乏人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。
(新改訳聖書:ルカの福音書16章22-23節)


(説教抜粋)

死後の世界についてイエス様が語られたお話です。金持ちと貧乏人、あまりにも対照的な人生を生きた二人の死後も、あまりにも対照的な天国と地獄でした。死後の運命を決定づけたものは貧富の差でしょうか?実はそうではなかったのです。

地獄に来てしまった金持ちは、地上で生きた自分の人生を地獄の苦しみの中で悔やみました。そして自分のような人生を生きてはならないことを伝えようと、アブラハムに訴えました。しかしその時、アブラハムはこういいました。

『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』(ルカの福音書16章31節)

お話の最後を締めくくったこの言葉は、イエス様からの大切な教訓であるはずです。ですからこのお言葉から天国に向かう人生とはどんな人生なのかを学ぶ必要があります。

「モーセと預言者の教え」とはいわゆる聖書のことです。つまりここでアブラハムの言いたいことは、天国への道(天国に向かう生き方、人生のあり方)は聖書に記されてあるのだから、その神様のお言葉に従って、天国の人生を備えよと言っているのです。

天国とは神様が治める世界です。神様を敬いそのお言葉を堅く守って生きる人々が向かうところが天国になるでしょう。このような視覚で見るならば、ここで言っている「金持ちと貧乏人」という言葉にも、何か霊的なニュアンスが込められているように思います。

ここでの金持ちとはおそらく、この場面にいた多くの宗教指導者たちだったと見ることができそうです。彼らはたくさんの富と名誉を欲しいままにしていましたが、元々は神様の御言葉を預かり、民たちを正しく神に導く大切な使命を担うべきはずの者たちでした。しかし世の富を楽しみ贅沢に遊び暮らすことに熱中してしまった彼らは、神様への真実を尽くさず、礼拝とお言葉を疎かにしてしまった人々でした。彼らにとって、宗教はビジネスの道具になっていたのかもしれません。

しかし貧乏人ラザロは、金持ちの食卓から落ちる霊的な糧、つまり神様のお言葉を丹念に拾い集め、それを非常に尊く思って、御言葉を愛し実践する人生を生きた人だったと見ることができるでしょう。

死後の世界は必ずあります。天から降ってこられたイエス様が、それを教えてくださっています。へブル書9章27節にはこのような御言葉があります。


”そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、”(へブル書9章27節)


この地上の人生は必ずいつか終わりが来ます。そして永遠の人生を生きることになった時、果たして私たちはどちらの人生を生きることになるのでしょうか?永遠の運命を決定づける鍵は、地上の人生をどのように生きたかにかかっています。そして天国に入る人生の在り方は、すでに聖書に記されているのです。聖書はいわば、私たちにとって天国を開く鍵となるでしょう。そしてイエスキリストは聖書の言葉の成就者です。私たちがイエスキリストを見出し、その方のご生涯に従って生きていくとき、天国は私たちの前に開かれるのではないでしょうか?イエス様のお言葉に耳を傾け、イエス様に従って参りましょう。

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