メッセージ

傲慢と謙遜


そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。
(新改訳聖書:創世記3:4-5)


(説教抜粋)
罪を犯し堕落していく人間たちの場面が、創世記3章に出ています。創造主である神がおつくりになった世界は非常に善く、悪のない世界でした。しかしサタン(蛇)にそそのかされたアダムとエバは、神に背く不信仰と不従順の悪なる道へと落ちてしまったのです。その時から「罪」が人間の中に生じたのです。

蛇から「神のようになれる」と誘惑されたアダムとエバは、絶対者である神を敬い従う立場を捨て、自らが絶対者となって神の善悪を判断する、そんな傲慢な存在に落ちてしまいました。蛇のこの誘惑の言葉の中に、私たちは「罪」の根源を見ることができます。

また罪はあらゆる関係を破壊します。神とアダムにあった信仰と愛の関係は壊されました。その時からアダムは、神を神とも思わない不信仰と不従順の人生を歩み始めました。彼のそんな一歩が、全人類が歩み始める堕落の歴史の始まりとなったのでした。

傲慢の罪は、人間同士の関係も破壊します。自らが神のようになろうとすることは、誰よりも自分が一番高くなろうとすることと同じです。私たちはあらゆる場面で、他人よりも優位な立場に立とうとしがちです。それでは決して、他者との間に平和を築くことなどできません。

神の元から降りてこられた神の御子「イエス・キリスト」は、傲慢ではなくその逆の謙遜を私たちに教えてくださりました。謙遜こそが、神の教える人の道です。


”キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。”(ピリピ人への手紙2章6-7節)


イエス様は罪人たちを救うために、自らを無にし、その命までも捧げてくださったのです。神の御身分である方なのに、その身分を捨て、私たち罪人を救うために、しもべの立場にまで降りてこられたのです。彼のご生涯にこそ、私たちが見出すべき命の道なのです。

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