10月4日、愛知長老教会における主日礼拝の説教をご案内いたします。この日は、へブル人への手紙3章1-6節から、「モーセに勝る、大祭司、神の子であるイエス・キリスト」と題して御言葉が語られました。説教では、神から遣わされた「使徒」であり、私たちを神の御前へ導く「大祭司」であるキリストの卓越性と、御子に属する者として生きる私たちの姿が示されました。
天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち
へブル書はまず、私たちを「天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち」と呼びます。信仰は、私たちが神を探し始めたことからではなく、神が私たちを呼んでくださったことから始まります。さらに、聖なる御子が私たちの兄弟となり、私たちを聖なる者としてくださったのです。だからこそ著者は、状況や自分自身に目を向けるのではなく、「私たちが告白する使徒であり大祭司であるイエスのことを考えなさい」と勧めます。
モーセにまさる御子、神の家を治める方
モーセは神の家に忠実に仕えた偉大なしもべでした。しかしキリストは、しもべとして仕える方ではなく、御子として神の家を治める方です。家よりも家を建てる者が大きな栄誉を受けるように、神の民を造られたキリストは、モーセにまさる栄光を受けるにふさわしいのです。モーセが神の家の忠実なしもべであるのに対し、キリストはその家を建て、治める御子なのです。
私たちはキリストの「家」である
そして6節では、「私たちが神の家です」と語ります。私たちは偉大な御子に属する神の民とされた者です。そのため、キリスト者とは、一度信じたという過去の経験だけにとどまるのではなく、御子への確信と希望を終わりまで保ち続ける者です。キリストが忠実な御子であるからこそ、私たちもその方に信頼し、その方の御言葉に耳を傾けながら歩み続けるのです。「イエスのことを考える」とは、主を注意深く見つめ、その御言葉を通して神が何を語り、どこへ導こうとしておられるのかを悟り続けることなのです。
このようにへブル書は、私たちに「何をしなければならないか」を先に求めるのではなく、「あなたは誰なのか」を思い起こさせます。私たちは天の召しにあずかった聖なる兄弟たちであり、神から遣わされた使徒であり、私たちを神の御前へ導く大祭司であるイエス・キリストに属する者です。
モーセが忠実なしもべであったように、教会に仕える者たちも忠実に仕えることが求められます。そして何より、しもべよりも偉大な御子ご自身が、地上でしもべの姿を取られたことを忘れてはなりません。使徒であり、大祭司であるイエス・キリストから目を離さず、確信と希望をもって歩み続けることが、この箇所から与えられる恵みなのです。
by 松浦 ゆり-Yuri Matsuura【youtubu channel】 幸せを見失い 孤独に悩む時に 主は言う 私の恵み...
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