メッセージ

四旬節、イエスキリストの十字架の道を学びます


豊かな恵みの中、四旬節を歩んでおられることと思います。愛知長老教会では、毎年四旬節の40日間、「イエス・キリストの十字架の道」を黙想しています。聖書の箇所はヨハネの福音書13章から19章までです。16日の主日礼拝後、礼拝に参加した生徒たちと一緒に「十字架の道」の本を朗読しました。

ヨハネの福音書13章では、イエス様が弟子たちの足を洗う場面が登場します。イエス様の謙遜と犠牲の姿が私たちに強く心に響きます。この最後の晩餐の席に裏切り者のユダもいたことを思うと、イエス様が背負った痛みがどれほど深かったか、胸が痛みます。他の福音書では、弟子たちが「誰が一番偉いか?」と議論していた場面も描かれています。その姿は、イエス様が示してくださった謙遜とは大きくかけ離れています。しかし、ヨハネはその状況の中で、イエス様の姿をこう記録しました。

ヨハネの福音書13章1節
「過越の祭りの前に、イエスは自分の時が来たことを知り、世にいる自分の者を愛し、その愛を最後まで示された。」

イエス様は、最後まで愛しぬかれました。彼が示してくださったのはまさに「愛」の姿です。イエス様の愛が最後まで理解されず、裏切り者のユダや、「誰が一番偉いか?」と争う弟子たちの姿があっても、イエス様は愛を貫き通しました。そして、弟子たちの足を洗ってあげたのです。

イエス様は13章の最後にこうおっしゃいました。

ヨハネの福音書13章34-35節
「新しい戒めを与えます。あなたがたは互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もし互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたが私の弟子であることをすべての人が認めるのです。」

「私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」――イエス様がこの地上に来られた目的の一つは、まさにこの「愛」の戒めを私たちに教えるためでした。では、なぜ「愛し合いなさい」という戒めが「新しい」と感じるのでしょうか?

それは、イエス・キリストによって私たちは初めて、真の愛を知ったからです。イエス様の十字架の死を通して、私たちは真の愛が何かを知ることができました。そして、彼のように愛することが、私たちを本当の意味で自由にし、命に導くのです。

イエス様の愛に比べると、私たちの愛はどうしても自分本位で、真の愛とは言えません。イエス様が十字架で示された愛だけが、唯一真実であり、永遠の愛であると気づかされます。クリスチャンになることは、この愛で愛された自分を取り戻すことだと思います。このイエス様の愛にとどまるとき、私たちは本当の命を得るのです。

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