ハレルヤみなさま!いかがおすごしでしょうか?
6月7日、愛知長老教会では6月はじめの主日礼拝をささげました。礼拝説教では、ヤコブの手紙1章1-10節から「試練をこの上もない喜びと思いなさい」と題した御言葉が共有されました。ペンテコステ以降、愛知長老教会では新約聖書の書簡に焦点を当てています。特に、初代教会の信仰と実践の源流に触れるため、公同書簡の学びを進めており、その最初の書であるヤコブの手紙から御言葉を分かち合っております。
キリストにあって一つとされた霊的家族
ヤコブは、迫害によって各地へ散らされた信徒たちに向けて手紙を書き送りました。彼は自らを「イエスの兄弟」とは呼ばず、「神と主イエス・キリストのしもべ」と名乗ります。そこには、血縁を超えてキリストを主とする信仰に立つ姿勢が表れています。
また、「十二部族」「兄弟たち」という呼びかけには、信徒たちがキリストにあって一つの家族とされたという福音共同体の深い理解が込められています。教会は地理的に散らされても、主にあって結ばれた霊的家族であり続けるのです。
試練を通して成熟へ導かれる信仰
ヤコブはまず「試練」という現実から語り始めます。試練は単なる苦しみではなく、信徒の信仰が試され、鍛えられという神の配慮が秘められた憐れみ深い神の摂理です。信仰の試練は忍耐を生み、その忍耐はやがて成熟した人格と揺るがない希望へと導きます。
創世記のヤコブが試練を通して「イスラエル」とされたように、神は試練の中にもご計画を持っておられます。主を信じる者に与えられる苦難は滅びのためではなく、神の子を完成へと導くための訓練です。そのためヤコブは、試練を喜びとして受け止めるよう勧めていることが語られました。
試練の中で求めるべき神の知恵
試練を正しく受け止めるためには、神から与えられる知恵が必要です。ヤコブは、知恵に欠けるなら神に求めるよう勧めています。神は惜しみなく、とがめることなく与えてくださる憐れみ深いお方だからです。
また、疑いに支配されるのではなく、神を信頼して祈ることの大切さも教えられました。さらにヤコブは、教会の中に存在する貧富や立場の違いにも目を向けます。外側からの迫害だけでなく、内側に生じる問題にも御言葉によって向き合い、神の視点で自らの立場を受け止めることが信仰の実践であると語られました。
ヤコブの手紙は、初代教会の信仰の源流を伝える重要な書簡です。その中心にあるのは、「本物の信仰を生きる」という呼びかけです。試練は信仰の真実さを明らかにし、忍耐と成熟へと導きます。信徒たちは試練の中でも神の知恵を求め、主を信頼し続けることで、より完全な者へと成長していくよう招かれているのです。
【参照】
ヤコブの手紙1章1-10節(引用:新改訳聖書第三版より)
1 神と主イエス・キリストのしもべヤコブが、国外に散っている十二の部族へあいさつを送ります。
2 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
3 信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
4 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。
5 あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。
6 ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。
7 そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。
8 そういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。
9 貧しい境遇にある兄弟は、自分の高い身分を誇りとしなさい。
10 富んでいる人は、自分が低くされることに誇りを持ちなさい。なぜなら、富んでいる人は、草の花のように過ぎ去って行くからです。
by 松浦 ゆり-Yuri Matsuura【youtubu channel】 幸せを見失い 孤独に悩む時に 主は言う 私の恵み...
ハレルヤみなさま!いかがおすごしでしょうか? 6月7日、愛知長老教会では6月はじめの主日礼拝をささ...
ハレルヤ。主の御名を心から賛美いたします。 1月11日、愛知長老教会では主日礼拝がささげられ、マタイ...
主の御名を賛美いたします。 新しい年を、皆さまいかがお過ごしでしょうか。 1月4日、愛知長老教会...