お知らせ

へブル人への手紙講解7「神の民が受ける安息」へブル書4章1–13節

2026年10月18日

ハレルヤ!10月18日の、愛知長老教会の主日礼拝説教をご案内いたします。この日はへブル人への手紙4章1–13節から、「神の民が受ける安息」と題された御言葉が取り次がれました。説教では、創造の時から備えられ、今もなお残されている神の安息に目を向けながら、御言葉を信仰によって受け取り、神の約束を信頼して歩み続けることの大切さが語られました。

安息の約束を、信仰によって受け取る

神が備えてくださった安息に入るための約束は、今も残されています。イスラエルの民は、約束の地に入るという御言葉を聞きながら、不信仰によってその約束を受け取ることができませんでした。私たちも、御言葉を聞くだけで満足するのではなく、信仰によって受け取る必要があります。神の国が完全に実現する日を待ち望み、天の父の家に帰る希望を抱きながら、御言葉と信仰を結び合わせ、神が約束された安息へと歩み続けることが求められています。

創造の時から備えられ、今も残されている安息

神の安息は、イスラエルが約束の地に入った時に始まったのではありません。神が天地を創造し、七日目に休まれた時から、その安息は示されていました。ヨシュアの時代に約束の地へ入ったことも、最終的な安息の完成ではありません。神の民には、なお安息が残されているのです。荒野で民を守り、養い続けられた神の真実さを覚え、困難の中でもその約束を信頼することが大切です。「今日、御声を聞くなら」と語られる神に、信仰と従順をもって応答し、究極の安息を目指して進みましょう。

生きて働く御言葉が、私たちの心を見分ける

神の御言葉は生きて働き、私たちの心の思いやはかりごとを見分けます。神の前には何一つ隠すことができません。イスラエルの民が安息に入れなかったのは、困難な道のりだけが理由ではなく、御言葉を信仰によって受け取らず、不信仰と不従順に陥ったためでした。神の御言葉は、私たちの内面を明らかにするだけでなく、何が神に喜ばれることなのかを示し、私たちを整えてくださいます。その御言葉を信仰によって受け入れ、従うことで、神が備えてくださった安息に向かって歩み続けるのです。


参照:新改訳聖書第三版
へブル人への手紙参照:新改訳聖書第三版

へブル人への手紙4章1-13節
1 こういうわけで、神の安息にはいるための約束はまだ残っているのですから、あなたがたのうちのひとりでも、万が一にもこれにはいれないようなことのないように、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。
2 福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。
3 信じた私たちは安息にはいるのです。「わたしは、怒りをもって誓ったように、決して彼らをわたしの安息にはいらせない。」と神が言われたとおりです。みわざは創世の初めから、もう終わっているのです。
4 というのは、神は七日目について、ある個所で、「そして、神は、すべてのみわざを終えて七日目に休まれた。」と言われました。
5 そして、ここでは、「決して彼らをわたしの安息にはいらせない。」と言われたのです。
6 こういうわけで、その安息にはいる人々がまだ残っており、前に福音を説き聞かされた人々は、不従順のゆえにはいれなかったのですから、
7 神は再びある日を「きょう。」と定めて、長い年月の後に、前に言われたと同じように、ダビデを通して、「きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」と語られたのです。
8 もしヨシュアが彼らに安息を与えたのであったら、神はそのあとで別の日のことを話されることはなかったでしょう。
9 したがって、安息日の休みは、神の民のためにまだ残っているのです。
10 神の安息にはいった者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。
11 ですから、私たちは、この安息にはいるよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。
12 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。
13 造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。



#