2025年09月01日
ハレルヤ!皆様、8月も最終日となった31日の主日礼拝では使徒の働き9章1-20節を用いて「私の選びの器です。」と題した説教が共有されました。メッセージを通じて、召命の形は違えど、一人一人は主の選びの器であることを、私たちに思い起こさせました。以下は説教の要旨です。
「新約聖書におけるパウロ使徒の役割は偉大です。主は偉大な伝道者となるパウロをキリスト教の大迫害者から選ばれました。主に選ばれる器には様々な器があります。教会には決して羊のような弟子だけがいるのではなく、オオカミのような弟子も招かれています。
黙示録3章15節には「わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。」というラオデキヤ教会へ送られた主の御言葉があります。サウロは当時、キリスト教会にとっては冷酷で冷たい残忍な迫害者でした。しかし逆にユダヤ教にとっては熱心で情熱的なメンバーだったのです。そんなサウロは主イエスによって覆され、キリスト教会の中で最も功績をたたえられる使徒へと変わったのです。主の統治の中においては、すべてが善に変えられるのを私たちは見ることになるでしょう。
サウロの召命について、サウロ自身が使徒の働き22,26章で証言しています。特に26章では福音の伝播者としての彼の使命が証言されただけでなく、「とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。(使徒の働き26:14)」という有名な言葉も証言されています。この言葉の中には選びの器に対する主の尊い愛が刻まれています。時に信仰と宣教の道は果てしなく過酷を極めます。弱い私たちはその道中、逃げ出してしまうかもしれません。しかし主の愛はサウロを堅くつかみました。この愛から逃げることのできなかったサウロは、この愛によって数多くの艱難や試練を乗り越えてきました。このみ言葉は私たちに対する束縛ではありません。このみ言葉に込められた主の愛の世界を知るものは、試練に打ち勝つ力と勇気を得るでしょう。」
また説教ではサウロの3日間の黙想について言及しました。「サウロにとって蘇られた主イエスに出会ったこと、また彼が神の栄光を輝かせ、彼の前に現れたことに衝撃を受けたはずです。復活信仰は初代教会にとって教えの核心であっただけではなく、クリスチャンの信仰の重要な要です。またサウロにとって衝撃であったことは、赦されたことです。彼はキリストの弟子を迫害したものでしたが、実際には神であるイエスを冒涜する者でした。まさしく罪人の頭であった彼は、主から許されただけでなく、異邦人への福音の伝播者として大きな使命までも受けるようになりました。福音の愛は偉大です。彼は3日間、このことについて深く黙想したはずでしょう。彼にとってこの3日間は古き自分を十字架につけて死ぬ期間となり、また生まれ変わる復活の機会でした。福音の光は私たちを生まれ変わらせます。新生の光を受けたサウロは完全に生まれ変わった人生を歩むものとなりました。ここに福音の力があります。」
説教は最後に、ガラテヤ書4章11-19節をもって、パウロの牧羊の姿を伝えました。「彼は今や、羊を守る狼となって偽教師や異端者と戦っています。ユダヤ教の狼となってクリスチャンを迫害したサウロを、主はこのように変えてくださったのです。彼は命を懸けて羊を守りますが、そのすべての働きに愛が満ちています。主が彼に施してくださった愛と同じ愛をもって、彼は羊を育てました。『私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。(ガラテヤ4章19節)』彼の労苦はこの言葉のうちに満ち満ちています。今日は福音の光を受けたサウロの回心を見ました。福音の力はこれほど偉大です。その光に照らされたものは、新しく生まれ変わるのです。皆さんもこの光を受けたものです。主を見上げて、新しい人生を力強く歩んでいきましょう。」